アイコン 「国を動かす」とは何か──交渉は"お願い"ではない(連載⑤)

Posted:[ 2026年1月27日 ]

橋本

この記事は橋本剛さんのFBの投稿を参照しております。

https://www.facebook.com/tsuyoshi.hashimoto

「国を動かす」と聞くと、どこか精神論のように響くかもしれない。
熱意があれば動く。
声を上げ続ければ変わる。
世論が高まれば前に進む。

 



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だが、少なくとも国の行政は、そのやり方では動かない。
国は、感情ではなく、論理と責任の所在で動く。
では、「動く」とはどういう状態か。
それは、「やらない理由」を並べ続ける側から、「やらない場合の責任」を問われる側に、立場が反転する瞬間だ。
これが起きたとき、国は初めて動き出す。
ここで重要なのは、地方が「お願い」をする構図から抜け出せるかどうかだ。
「支援してください」
「前向きに検討してください」
この言葉が出た時点で、交渉の主導権は相手にある。
本当に必要なのは、「この案件は、国の責任領域ではないのか」
そう問い返す力だ。
西九州新幹線は、一県の地域振興策ではない。
九州西部という広域の国土構造をどう設計するか、国家のインフラ戦略そのものだ。
ならば、「地元合意が整っていないから」
という理由で距離を取ること自体が、国の責任放棄ではないのか。
この問いを、正確な言葉で、制度の内側から突きつけられる人間が、どれだけいるだろう。

平田けん

もし、平田研さんが知事になり、鈴木史朗市長と連携したとき、この問いは現実のものになる。
二人とも、**国土交通省**の中で、「どの言葉が通り、どの言葉が退けられるか」を知っている。
それは特権ではない。
責任の取り方を知っているということだ。
国を動かすとは、圧をかけることではない。
敵対することでもない。
逃げられない問いを、正しい場所に置くことだ。
この問いが置かれたとき、国は「検討します」と言えなくなる。
やるのか、やらないのか。
そして、やらないなら、その理由を誰が引き受けるのか。
そこまで持っていって、初めて、交渉は始まる。
この選挙で問われているのは、その地点まで辿り着ける真のリーダーを、長崎が持てるかどうかだ。

パフォーマンスに走るのではなく、経験に裏打ちされた見識と実行力が求められているのである。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

 


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