自民党の新総裁に高市早苗氏が選ばれた。就任からわずか数日で、メディアは連日のように批判的な報道を繰り返している。とくに「自民党議員にもっと働いてもらいたい」と述べた発言を、「国民に向けた発言」とすり替えて報じる例が目立った。これは単なる誤報ではなく、意図的な印象操作と見るべきだ。なぜなら、主要メディアの取材力を考えれば、発言の真意を取り違えるはずがないからである。
政治家の発言を切り取って批判することは簡単だ。しかし、報道が果たすべき役割は「事実の伝達」ではなく「社会の判断を支える説明」である。民主主義は、多様な意見の上に成立する。だが、意見の多様さを封じるような報道姿勢が続けば、政治は委縮し、国民は選択肢を失う。高市氏の政策や理念を検証することは大切だが、最初から結論ありきの批判は、議論そのものを空洞化させる。
思い返せば、バブル崩壊以降の日本は、たびたび「メディアが正しい」とされた政策路線を歩んできた。構造改革、財政緊縮、増税路線――そのどれもが「痛みを伴う改革」として称賛されたが、結果として日本経済は長期停滞に陥った。もしメディアが常に正しい方向を示していたなら、いまの日本がこれほどの低成長に苦しむことはなかっただろう。報道が国民に「間違った道を選ばせ続けた」可能性を、私たちは冷静に直視すべきだ。
だからこそ、今回の高市新総裁への過剰な批判は、過去の過ちを繰り返す危険をはらんでいる。政治家を監視することと、政治家を貶めることは違う。政策の是非を問うことと、印象で人物像を作り上げることも違う。今こそ必要なのは、誰かを叩くことではなく、「日本をどう立て直すか」を冷静に議論する姿勢だ。
高市政権が掲げる積極財政や成長戦略には賛否があって当然だが、それを議論する前に、まず報道そのものが事実と公平性を取り戻さなければならない。批判のための批判が続く限り、日本はまた同じ場所で足踏みを続けることになるだろう。
